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第3章

それでも「天の声」は聞こえた

──反省のなかの裁判レポート──

事件の反省と釈明

私たちは布教と伝道の過程で、たしかに誤解されるような行為があったかもしれません。なにしろ、私も宗教人として立つまでは、多くの宗教の勧誘を受けました。そのことに照らしあわせて、私たちも、布教に熱心になるあまり、信徒を獲得するためにタブーの勧誘を行ったのではないかという危惧もありました。

ずいぶんと私は勧誘されました。

信仰すれば、貧しさから逃れることができる。

信仰すれば、病気が治る。

信仰すれば、家内安全、商売繁盛疑いなし。

信仰すれば、試験に合格する。

信仰すれば、良縁が得られる。

……等々。

そして、入信の証として多額のお布施が必要だといわれたこともあります。布教や伝道は信徒を増やすために行うものですから、誘いが強引になったり、御利益(ごりやく)をオーバーに伝えたり、きらびやかな宣伝文句をならべたりすることがあります。

勧誘されたとき、私はどの話もマユツバだと考えて、まともに信じようともしませんでした。

後年、私が天声が聞こえるようになり、宗教組織を結成するにあたって、布教や伝道の際に解りやすく説明するために、オーバーな表現で解説したり、派手なパフォーマンスで聴衆にアピールするということもありました。

また、テレビの娯楽番組に出て、自分の力を誇示するようなことを引き受けたりしました。そうすることで教団を宣伝し、少しでも教えを広めることができるのではないかと考えたからです。

しかし、天から与えられた力は決して見世物にして人を楽しませたりするものではありません。ある意味で天からたまわった人助けの能力ですから、いたずらに他人に誇示したり、見せびらかすものではありません。その点で、布教を急ぐあまり、行き過ぎた救済活動で誤解を与えたかもしれません。

信仰というものは、その中に入っているものにとっては、生きる指針であり、絶対的なものですが、他宗教の人や、教団の外にいる人にとっては、過度な勧誘やオーバーな言動はうさん臭く見えたり欺瞞(ぎまん)に満ちた行動に見えるものです。

教主の私は直接天声を聞くことができるのですが、私以外の者はあくまでも口伝(くちづ)てに伝えられます。ごく身近な幹部には正確に伝えることができますが、それ以外は書面や口伝えですから、正しく伝えられたかどうか、私ははっきりと確認できませんでした。

私の予測をはるかに超えて教団は大きくなりました。あまりに急な教勢の拡大のため、行者を管理するシステムや教えを正確に伝達する方法が確立されていないのに、組織が膨らんでいきました。

天声を理論化しシステム化すると、私の教団の場合、どうしても「行」が救いの中心になるのです。宗教によっては、ただ祈り、すがり、悟るということによって救われる教義もあります。それに対して、私の聞く天の声は、「行」を通じて自己を高めていくという「自力本願」的な教えです。

ある意味で強い意志によって救われたいと願う人に寄り添う宗教であり、無気力、消極的な人、人間的に弱い人には無情の教えと映ったかもしれません。

天声で示された行に三法行(さんぽうぎょう)があります。般若天行(はんにゃてんぎょう)をもとに、ただ口ずさむ「法唱(ほうしょう)」、薄く書かれた般若天行(はんにゃてんぎょう)を、ただ書きなぞる「法筆(ほうひつ)」、そして座って、深呼吸をただ繰り返す「法座(ほうざ)」という三つの行からなります。毎日30分の簡単な行ですが、これを毎日一回正しく繰り返すことで、無意識に、よろこびの(おも)いを刻めるようになり、生活に答えが出るようになる行です。

でも、どうしても繰り返すことができない人がいます。そのときには、一時的に変わることができても、また、元に戻ってしまいます。その場合、救われようとしたのに金銭だけを取りあげられ、救いは得られなかったというふうに感じたかもしれません。

そのような人たちは、私に騙されたと思ったのでしょう。いまになって、行を開始した人に対する万全なお世話ができていなかったと思います。

教団全盛のころ、日毎夜毎に聞こえる、たくましくも頼もしい天声を聞き、人類救済の方法として、いかにすぐれた「行」の手段を取り入れるかということだけに頭が向いていました。行に取り組めない弱い衆生が存在することには思いもよりませんでした。

いまになって当時をふり返ると、絶対者に、ただただ、すがることしかできない弱き衆生の存在に、もっと目を向けるべきでした。大きな反省点の一つです。

釈迦は人によって法を説いたというのは有名な話です。釈迦が人を見て法を説いたエピソードは数多く語り継がれていますが、そのなかに有名な一話があります。

釈迦の弟子の一人にシュリ・ハンドクという男がいました。シュリには兄がいて、兄弟そろって釈迦に弟子入りしました。

兄は秀才で釈迦の説く説法をすぐに理解して、弟子のなかでも上の位にのぼっていきました。それにひきかえ、弟のシュリは物覚えも悪く、釈迦の話を聞いても理解できませんでした。

ある日、見かねて兄は弟に言いました。

「おまえはできが悪く、他の弟子たちの足手まといになっている。みんなの迷惑になっているから、修行はあきらめて郷里(くに)に帰ったらどうだ」

「私もそう思っていました。兄さんの忠告にしたがって郷里に帰ります」

シュリ・ハンドクは早速、釈迦のもとに出向きました。

「師よ、私は愚か者ゆえ弟子の資格はありません」

釈迦に言いました。彼の言葉に釈迦は静かに首を振りました。

「シュリ・ハンドクよ、なにも修行を投げ出すことはない。お前はいつも掃除を立派にやってのけていた。掃除をしながら、《我、塵を払い垢を除かむ》とその言葉を唱えながら、そのことだけをひたむきに念じればいい」

シュリ・ハンドクは釈迦の教えにしたがって、何十年という間、掃除に一心不乱に取り組みました。《我、塵を払い垢を除かん》と念じつつ、何十年も修行しました。

ある日ふと彼は《塵と垢を除くというのは自分の心のなかの塵と垢ということで、心の塵と垢というのは、物覚えが悪いことに執着する己の心であったか……》ということに気がつき、秀才の兄より先に悟りを開いたということです。

シュリ・ハンドクはその後、高僧となり、インドの国々をまわり、(つじ)に立って人々に悟りについて説法しました。

彼の説法はいつも同じ、「塵を払い、垢を除かん」という言葉だけでした。しかし、人々はその言葉を説く彼の姿に手を合わせて聞き入ったということです。

たしかに私に降りた天声は、人類救済のために、厳しい修行を求めていました。しかし、修行についていけない人がいました。その人に対して、私は別な方法を伝授すべきだったということを懺悔しました。

《 目次 》
◆第1章 悔恨と懺悔の日々
 ──天が与えた私への試練──
◆第2章 絶望からの再起
 ──自らの役割を果たすために──
◆第3章 それでも「天の声」は聞こえた
 ──反省のなかの裁判レポート──
◆第4章 人がよろこぶ行為は自分のよろこびとなる
 ──他人の痛みは自分の痛み──
◆第5章 人間の絆こそ心のエネルギー
 ──美しき情の世界──
◆第6章 使命感をもって生きる!
 ──私の考える人類救済──