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第5章

人間の絆こそ心のエネルギー

──美しき情の世界──

先祖への敬愛の念

私たちが現在あるのは、父母に連なる先祖のおかげです。そのことに深い感謝の思いを抱かなければなりません。

そのためには現在の自分を肯定し、生きることのよろこびをもっていることが大切です。現在の自分に失望し、生きるよろこびを失っているようでは、先祖に感謝の念など生まれるはずがありません。

人間が生まれるということは、ひとつの宿命と考えることができるのです。人間はそこに生まれるべく、因縁を背負って生まれたのです。人間誕生はまさに天の配剤なのです。

生まれるということは、生まれる人の意志に関わりはありません。生まれたときから、遺伝子は決定づけられているのです。生まれる人の意志で、両親も時間も場所も選ぶことはできません。私たちは大いなるものの力によって、日本に生まれたり、中東に生まれたり、アメリカに生まれたりするのです。

すなわち、自分の存在は「天の意志」によってもたらされた命なのです。大財閥の家系に生まれたのも、貧農の家庭に生まれたのも天の意志ならば、ありがたく自分の存在を認めて命をまっとうするというのが正しい生き方です。

いまの自分によろこびがあるとすれば、それは先祖によって託された「よろこび」なのです。このよろこびを与えてくれた先祖を敬い感謝の念を捧げるのは、当然のことなのです。

人はこの世に誕生するとき、母胎の中で十月十日かけて父方、母方の5代前からの生きざま、死にざまを受け継いで生まれます。これは遺伝子の組み合わせという視点からもうなずけると思います。

そして2本足で立ち、人生を歩み始めたその人にとって、先祖からの血液、遺伝子の状態というものが、すでに人生の大部分を決めてしまうほどの力をもっています。顔が似ている、声が似ているといった目に見える部分のものから、目には見えない領域まで、じつに多くのものを先祖から引き継ぎ、無意識に先祖そのものの姿を表現して生きているのです。

では、その人はなぜその家に生まれたのでしょうか。両親との出会い、与えられた環境などは、決して自分で選択することができないのはたしかなことです。そのとき、その家の子どもとして生まれてくる必要があったからこそ、いまここに存在しているのが、それぞれの人間生命体といえます。

たとえば、両親に出会い、山田家に生まれたとします。男子だったので〝太郎〟と名づけました。その命名の過程はなんでもよいのですが、山田太郎という人間で人生が始まりました。

〝なぜ、山田太郎なのか〟〝なぜ、山田家の太郎で誕生しなければならなかったのか〟〝なぜ、太郎は、佐藤家の太郎ではないのか〟〝なぜ、太郎は、高橋家の太郎ではないのか〟

答えは、山田太郎で生まれてこなければならなかったのです。

山田家の先祖を背負い、子孫のために山田太郎の人生は、人間完成しなければならないからです。だから山田太郎は天に出会い、頭を取って人間に目ざめる必要があるのです。

人は、この世に生まれたならば、一人残らず死に向かって歩んでいます。いま、生きているのは、死を仕上げるためであり、生から死までの道のりを必要としたからなのです。

だから、必要な家に出会い、必要な親子の出会いから、人生は始まっているのです。

そして、その家に生まれた以上、人生のなかで果たすべき次の3つの目的があります。

(1)出会った家を受け継いだ以上、その家を根こそぎ救わなければならない。

(2)人間生命体としての自分を、人間完成させなければならない。

(3)子孫・人類の繁栄につなげなければならない。

これら3つの目的を果たすことで、人生を仕上げ、人間完成したよろこびの死にざまが、子々孫々、そして人類へと受け継がれていくのが人生の目的です。

人間生命体を完成させるということは、たんに自分が救われるということにとどまらず、自分の先祖を含めて家を救うということであり、子孫・人類を救うことにつながるのです。

目には見えませんが、死後の世界は天空のかなたにあるのでも、地下深くにあるのでもありません。死後の世界とは、私たち人間が生きているこの世界にあるのです。その真理をキリストはこう言っています。

「神の国は見られる形で来るのではない。また、見よここにる、あそこにあるなどとも言えない。神の国は実にあなたがたのただ中にあるのだ」と。

人間の目には見えませんが、この宇宙空間にはさまざまな世界がいくつも重なりあって存在しています。人間にとっての死後の世界も、この空間にあるのです。したがって、5代前の先祖もこの同じ空間にいて、私たちのよろこびは5代前の先祖にまで伝わります。

この3つの目的があるにもかかわらず、多くの人間は、地上に肉体をもっての再生を繰り返しているうちに、大自然の法則の存在を忘れてしまったのです。目に見えるこの3次元の世界こそ、ほんとうの住家であるように錯覚してしまったのが、私たちのいまの姿なのです。

天上界のパスポートを手に入れるには、「いま」この地上に肉体があるうちに、(おも)いを使って勝負するしかないのです。プラスの(おも)いを()かせ続け、「最高のいま」を刻んでいるかどうか、それがすべてです。頭でそれを「知る」だけでは、人生は変わりません。「()る」か「()らない」か、二つに一つです。

もし、いまが苦の絶頂ならば、いまがチャンスです。大自然の法則に沿った生活をし、いままでの人生を無駄にせず、これからの人生を本物にできるかの分岐点なのです。

以上、人間の絆として、母、家族、先祖という血のつながりがある絆として書きました。

いっぽう、私が収監される前には、日本のよい習慣として残っていた友だち、学校の先生、近所の人、会社の同僚・上司に対するお付きあいが希薄になっていることを感じますので、これらに対して感じていることを簡単にまとめました。

《 目次 》
◆第1章 悔恨と懺悔の日々
 ──天が与えた私への試練──
◆第2章 絶望からの再起
 ──自らの役割を果たすために──
◆第3章 それでも「天の声」は聞こえた
 ──反省のなかの裁判レポート──
◆第4章 人がよろこぶ行為は自分のよろこびとなる
 ──他人の痛みは自分の痛み──
◆第5章 人間の絆こそ心のエネルギー
 ──美しき情の世界──
◆第6章 使命感をもって生きる!
 ──私の考える人類救済──