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第2章

絶望からの再起

──自らの役割を果たすために──

天声は人を救うために発せられる

「天声」は「真理」であるのは間違いがありません。

広い意味で、偉大な宗教者である釈迦もキリストも神・仏ですが、大きな視点に立っていえば、彼らも天(絶対者)の声の伝達者であります。

クリスチャンや仏教徒が祈りを捧げるのは、もちろん釈迦やキリストに対して祈っているわけですが、同時に、天なる絶対者へわが想念を直結させようという行為でもあります。

どんな宗教でも、根本は人類救済であります。宗教論争は救いの理論の主張をお互いに闘わせるのですから、天の意志に反しませんが、宗教戦争は明らかに天の意志に反しています。

いかなる理由があろうとも、人が不幸になるような状況を天が許すことはありません。

前記しましたが、釈迦もキリストも、まわりの人々や弟子たちに伝えたのは、「()ること」でした。

それを文章にして理論化し、仏典、聖書として残したのは、後世の人です。

知って学ぶことを中心の命題に置いたことから、宗教哲学となって、頭でつくりあげた、よろこびのない世界ができ、釈迦もキリストも望まない、宗教戦争の原因となったのです。

安易な例ですが、「汝の敵を愛せよ」というのはキリストが伝えた天声です。釈迦が聞いた天声にも「不殺生」があります。たとえ虫けらでも命あるものは殺すな、というのが天声です。

天が、戦を奨励するはずがありません。私はイスラムの教えに詳しくはありませんが、宗教であればイスラム教も人類救済が原点のはずです。簡単に人を殺したり、人をさらったりする教えではないはずです。

宗教は絶対に人意(じんい)(人の考え)であってはならない、ということです。宗教には人意の宗教と、天意の宗教があります。

釈迦、キリストが目ざしたのは、天声にもとづき、()って()いて成る天意の宗教でした。それが、後世の人が仏典・聖書として文章化したことで、人意の宗教になっています。人意の宗教は、頭で考えるため、どうしても、願い、求め、頼る、理論で組みたてたものとなり、結果、無意識に苦の(おも)いを刻むことで、人間完成に結びつかないものとなります。

私の人類救済の原点は、啓示を受けた「天声」にあるのですが、そのことについては次の章で詳しく述べます。天声は、万物の創造者である絶対者が天の法則を告げる声です。天の法則は、人間として従わなければならない原理原則です。そこには、幸せに生きるための知恵が散りばめられているのです。

私の再起は、その法則を正しく伝えることです。

《 目次 》
◆第1章 悔恨と懺悔の日々
 ──天が与えた私への試練──
◆第2章 絶望からの再起
 ──自らの役割を果たすために──
◆第3章 それでも「天の声」は聞こえた
 ──反省のなかの裁判レポート──
◆第4章 人がよろこぶ行為は自分のよろこびとなる
 ──他人の痛みは自分の痛み──
◆第5章 人間の絆こそ心のエネルギー
 ──美しき情の世界──
◆第6章 使命感をもって生きる!
 ──私の考える人類救済──