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第4章

人がよろこぶ行為は自分のよろこびとなる

──他人の痛みは自分の痛み──

まず、家族によろこびを与えることから始めよう

人類救済、人助け、人が喜ぶ行為……といったからといって、特別なことをするわけではありません。身近な人を喜ばせたり、身近な人の役に立つことが大切なことです。

人助けは、ポーズでも、見栄のために行うわけでもありません。人のよろこびを自分のよろこびとする修行です。

昔、東南アジアの恵まれない子どもを助けたいというボランティア活動をしている知人の女性がいました。私は、彼女の行為を立派な行為として高く評価していました。ところがある日、彼女のことを詳しく知る機会があって、彼女のボランティア活動にいささか失望したのです。

彼女には介護の面倒をみているお母さんがいました。彼女がボランティア活動をするために海外に出かけていくときは、彼女はいろいろな施設や知人にお母さんの面倒をみることを頼んで出かけていたのでした。

彼女が、医師、看護師、教師、警察官、消防士、宗教家のような職務を求められる場合は、ときに自分の家族を犠牲にしても他者のために尽くさなければならないときもあります。しかし、たんなるボランティア活動家なのですから、母親の生活を犠牲にしてまで他者に尽くす必要があるだろうか? と、つい考えてしまいます。

人のよろこびを自分のよろこびとすることは、赤の他人でなければならないということはありません。自分の祖父母、父、母、兄弟姉妹、伯父、叔父、伯母、叔母、従兄弟、従姉妹のような身内の人たちにまず救いの手を差しのべるということに心することが大切です。

家との出会いは偶然ではありません。その家を救うための家との出会いです。まずは、この世での一番の恩人である両親、そして、すべての身内を大切にすることです。その後に友人、近隣、知人、人間、人類というふうに救済の輪を広げていくのです。身内の救済を後まわしにして、いきなり、東南アジア、中東、アフリカなどと世界規模の人類救済の輪を広げようというのはどこか違うのではないか、という思いを拭うことはできません。

まず地道に、身近なところから人類救済を考えることです。家族も近隣でも、あなたの優しさを必要としている人たちがいるのです。

私が胸を痛めるのは、現代の風潮としての家族の崩壊です。時代の流れとしての核家族化は致し方ないにしろ、家族の心がばらばらになっているのは悲しいかぎりです。

また、わが子の虐待、年老いた両親への虐待が跡を断ちません。この醜い現実を変えることが大切です。総体的に人間が未熟になっていることに私は心を痛めています。

《 目次 》
◆第1章 悔恨と懺悔の日々
 ──天が与えた私への試練──
◆第2章 絶望からの再起
 ──自らの役割を果たすために──
◆第3章 それでも「天の声」は聞こえた
 ──反省のなかの裁判レポート──
◆第4章 人がよろこぶ行為は自分のよろこびとなる
 ──他人の痛みは自分の痛み──
◆第5章 人間の絆こそ心のエネルギー
 ──美しき情の世界──
◆第6章 使命感をもって生きる!
 ──私の考える人類救済──