第1章
悔恨と懺悔の日々
──天が与えた私への試練──
十字架を背負いつつ
出所してからおよそ1年(本書初版当時)になります。
このころ、やっと刑務所の夢を見ることが少なくなりました。半年あまりは、なんともいえないつらく悲しい夢を見ました。荒野のなかに独り置き去りにされる夢、あるいは何者かに追いかけられて汗まみれになって逃げる夢です。
「ああ、捕まってしまう!」とても逃げきれない……恐怖のなかで目がさめます。目がさめると自室のベッドです。
「ああ、私は刑務所を出たのだ……」
私は動悸のおさまらない自分の胸を両手で抑えてつぶやくのです。
「出所していた……」という思いは、たしかに安堵なのですが、夢の残像があまりに恐ろしかったり、悲しかったり、切なかったりするので、目覚めたあとも、つらい思いが尾を引くのです。
同じような夢を連続して見ることもあれば、思いがけない夢だったりします。せっかく出所したのに濡れ衣で逮捕され、ふたたび塀の中へ逆戻りさせられる夢などは、やりきれない夢です。
「私は罪などおかしていません!」
絶叫するのですが、私を引き立てる人はそんな私の抗議を聞き入れてくれません。収監される私を、人々は取り囲んで見ているのですが、冷笑して見ているだけで、だれも私を助けようとはしません。私が信頼している友人までが顔を背けるのです。
「どうしたんだ!」……悲しみを引きずったままで目がさめるのです。
「ああ……夢だったのか」と私は心でつぶやきます。夢のはずなのに枕が濡れています。
刑務所でもよく夢を見ました。目がさめると塀の中で、四方が壁に囲まれています。
「ああ、ここは刑務所だったのか……」
いまは、悲しい夢を見ても目がさめると自室のベッドです。たしかにそれは安堵なのですが、刑に服してつとめあげ、出所してきたのに、悲しみは消えることがなく私をさいなみ続けているのです。
私が刑事告発されたのは私の不徳のいたすところであります。しかし、心の奥底に、私が罰を受けたのは、法難であるという思いが捨てきれないのです。
法難というのは、宗教者が新しく事を起こそうとしたり、時の為政者に意見を述べ、それが政治上都合が悪かったり、為政者が宗教が人心をかく乱したと判断したときなど、捕らえられて島流しにあったり、牢獄につながれたりすることです。
日本の多くの宗教者も、法難によって捕らえられたり裁かれたりしています。仏教や神道、キリスト教などの既成の大宗教よりも、むしろ新宗教の教祖が多くの法難に出会っています。
新宗教の教祖が法難を受けることが多かったのは、新しい教えは奇抜に見えたりうさん臭く感じられたからでしょう。
私は裁判が結審するまで3年間という長い間拘置され、取り調べを受けたのは、私が天声が聞こえるというのは嘘だろうという取り調べ官に対して、いや、私には聞こえるのだという真実を貫き通したためです。もし、私に天声が聞こえるということになれば、刑事罰は成り立たなくなるので、当局としてはどうしても私の主張を偽りにしなければならなかったのでしょう。
地裁・高裁では、有罪の判決を受けましたが、とうてい、受け入れることができず、最高裁でも戦いました。
しかし、逮捕されたときから有罪ということが決まっていたかのごとく、私の意見はまったく受け入れられず、有罪が確定しました。
獄中でも、あるいは出獄してからも、私は天に許しを乞い続けました。罪への許しではなく、私に置き去りにされた行者のみなさまに対して許しを乞い続けたのです。
「私が不在の間、どれほどつらい思いをしたことか……」
そう考えると身を切り刻まれるようにつらいのです。