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第6章

使命感をもって生きる!

──私の考える人類救済──

自我を捨てて大自然に調和する

人間の苦悩の根源は「自我」を捨てきれないところにあります。自我という言葉を単純明快にいえば、自己中心の生き方ということです。

人が苦しみを背負うのは、いつも自分を中心において考えるからです。他人の利益を考えずにまず、自分優先の姿勢で物事に向かいあうからです。自分中心に生きるということは、前述のように重い荷物を背負いこむということです。

打算、不安、弱気、執着というような重い荷物を、自分可愛さゆえに捨てきれないのです。「身を捨てて浮かぶ瀬もある」のたとえどおり、自我という荷物を捨て去って新しい流れに身を投ずるならば、必ず救いの道が見つかるのです。

金銭も欲しい、出世も欲しい、恋人も欲しい、権力も欲しいと考えると、それらが手に入らないと、手に入らないことが苦しみの根源となります。その欲求はどれもが自我と表裏になっています。

たしかに、お金も恋人もそれ自体悪でも善でもありません。社会生活を営むうえで必要な道具ということはいえると思います。しかし、無理して得ようとしたり、自我むき出しで手に入れようともがき、手に入らないと、それが「苦」の種となります。

自我を取り去った目で世界を見まわすと、まったく新しい世界が開けてきます。人間の営みは大宇宙の法則に組みこまれていることに気がついてきます。

自分が苦しみを背負っているのは、自分の蒔いた種子によって「苦し()」を育て、結果としてその苦くつらい実を味わっているのです。苦は自分の蒔いた種によって育ったのです。

ほんとうは、心底救われるためには、自分の心に映じた現象をよろこびの形象(かたち)として受け止めるということが大切なのです。絶対に、「悲しみ」や「苦しみ」の思いはわが胸に刻まないということです。

すなわち、目の前の現象に振りまわされない生き方をすることです。「明るい空」と感じたら「明るい空」という意識を胸に刻むのです。滅入るような冷たい空という思いは、胸に刻まずに見過ごしてしまうということです。

その方法が、天声で般若天行(はんにゃてんぎょう)を基とした、三法行(さんぽうぎょう)として示されています。

強靱な(はがね)のような自我は自分のなかから捨て去って、ひたすら自然に同化する柔軟な思いを育てることです。本来、人間は天の意に生かされているのです。人間の心は、もともとは歪んでおらず、まっすぐなものです。

人間は本来悲しみに満ちた存在ではなく、自然に調和したよろこびの表現体なのです。天はよろこびの表現体として人間をこの世に送ったのです。自然もまた、天によって造形されたものです。

春に花をつけ、秋に実を結び、人々はその恵みによって生命を育みます。陽が輝き、月は照り、雨は大地をうるおします。土壌には肥沃な養分が蓄えられ、花は咲き、蝶や蜜蜂や小鳥が乱舞します。

蜂は花の受粉を助け、小鳥は害虫の駆除に一役を買います。それぞれが自然を造形する天の法則に生かされています。人間もまた同じです。人間だけが自然の営みの埒外にいるということはないのです。

本来、人間は自然とともに生き同化すべきものです。そういう意味では、蝶や小鳥となんら変わった存在ではありません。人間だけが自然の法則に背いたことが、戦乱の元となり、地球の危機を招き、人間荒廃の原因となったのです。

自我という荷物の重さにあえぎながら、人間は苦の世界にのたうちまわっています。自我を捨てて、自然に同化したとき、この世に極楽のような世界が訪れるのです。

極楽のような世界をこの世にもたらすためには、人間一人ひとりが自然と同化しようという本来の天の法則を心に刻むことです。

《 目次 》
◆第1章 悔恨と懺悔の日々
 ──天が与えた私への試練──
◆第2章 絶望からの再起
 ──自らの役割を果たすために──
◆第3章 それでも「天の声」は聞こえた
 ──反省のなかの裁判レポート──
◆第4章 人がよろこぶ行為は自分のよろこびとなる
 ──他人の痛みは自分の痛み──
◆第5章 人間の絆こそ心のエネルギー
 ──美しき情の世界──
◆第6章 使命感をもって生きる!
 ──私の考える人類救済──