第6章
使命感をもって生きる!
──私の考える人類救済──
観自在を生ききる
自然と同化するということは、「観自在」の生き方をするということです。
観自在というのは、一見、気ままに生きるという意味にとられがちですが、まるで違います。
ここでいう「観自在」の「観」とは、無意識にこみ上げてくる「
天声では「頭でどうしようもない自分が、本来の自分、自分の本体である」と示されています。
人生では、知っていても、どうにもならないことがあります。「感謝しなければ」と、知っていても、自由自在にならないのが、人生というものです。
道徳や倫理や常識といった、頭では制御できないものが「
人生とは、運命でも運勢でもありません。手相でも人相でも印相でも墓相でも決まるものでもありません。霊もないし、因縁もありません。ましてや、理屈とか理論でもありません。
何があるのか。あるのはただ一つ、「
天声では「人生は苦である」と、断言されています。その「苦」を「苦」と思わない自分に成るために、人生というものがあります。
これは大変なことのようにみえますが、じつは
観自在というのは、とにかく「
そうした絶対の「よろこび」を実証した状態が「観自在」です。
「観自在」とは、欲が消滅した状態ではありません。そうではなく、欲からさえも「自然の法則」に沿える自分に転化することです。そうした状態に成れたとき、欲は人を生かし、よろこばせようというエネルギーとなり、その人は、太陽のような光を発する人となれます。それは、いっさいのこだわりがなく、自然のままに、すべてを「よろこび」に転じ、自然のままに流れていく「人間完成」の姿なのです。
「
観自在の人のところには健康も、生活をうるおす財も、自分と心を通わせる人も、多くの笑顔も、安らかな幸福も、みんな自然に吸い寄せられ集まってくるのです。天の法則に同化することは、苦のない世界に溶けあうことですから、その人の周囲には自然によろこびが集まってくるのです。
人生とは、自分でああしたい、こうしたいと考えている間は、思うようになりません。自在の心で見つめるときに、すべてが思い(
世の多くの人は、「病気が治ったので体が楽になったから楽しくなった」と考えます。じつは、この考え方は自我まる出しの考え方なのです。この考えだと、また病気になれば苦の世界に逆戻りです。
病気のときに、この病気は天の法則によって得たものであるから、やがて天の意によってきっと治る。そのように考えて、明るい心で病気に向かいあっていると、よろこびの
逢いたい人に逢った途端に病気が治ったり、余命数か月といわれたがんが進行せずに命を長らえたりするのは、観自在の心が、天の心と調和したために起こった現象なのです。
苦を自我の心で受け止めるのではなく、苦を苦と感じない
人生とは「いま」の連続です。「いま」この瞬間が楽しいと観じたならば、その人の人生は楽しい人生となるのです。
いま、貧苦にあっても、病苦にあっても、その人にわが人生は「最高」だという
自我の心で描いた最高の未来というのは、いまの現実ではありません。なぜなら、その人の現実は楽しくないということです。いまの思いが最高でないならば、明日の思いも最高ではありません。
それに対して、「ああ、いま、自分は天と一体となって最高の境地にいる」と考えることができるなら、その人は救われているのです。この救いの境地を人々に与えることが、私の人類救済の使命ということです。