まえがき
私は2013年まで、獄中で暮らしていました。拘置所に収監されていた年月まで加算しますと、約15年間の長い監獄暮らしを体験しました。
それまで私は、宗教法人の教主をつとめていましたが、私の逮捕、刑の確定、破産宣告などで教団は清算いたしました。
私の罪は、宗教の名を借りて信徒から金品を詐取したということでした。もちろん私には犯意があるはずがありませんが、諸般の犯罪構成要件に該当するということで、有罪が確定したわけです。
私の入った監獄は栃木県北部にありまして、冬の寒さにはつらい思いをいたしました。罪をおかした人間の入る獄舎には冷暖房が完備されているわけがありません。罪の償い、懲らしめのための監獄ですから苛酷な環境であるのは当然のことです。
私は、獄中でひたすら「般若天行」を念じながら苦の世界に耐えぬきました。また私が入獄以来決意したのは「獄中でも修行ができる」「人類救済はできる」ということでした。この二つの悲願がなければとうてい、15年間の獄中暮らしはできなかったと思います。
私と同じ獄につながれている囚人たちに、なんの偏見ももたずに迷える衆生の一人として接しました。私の監獄でのニックネームは「神様」でした。囚人たちは、私が宗教家であることを知っていて、からかいの意味でつけたニックネームでしたが、私はそれこそ、神になったような気持ちで囚人たちに接しました。
私は、なにも考えずに一日一日を過ごしました。歳月の流れを冷静に見送りつつ、ただひたすら、この一瞬を生きぬくことだけに集中しました。
それでも、母の死が獄中に伝えられた数日間は、平静な心を保つことはできませんでした。涙をこらえきれないときもありました。死は万人共通の真理であることは解っていても、一人の人間として、母の死は、それこそ万死にあたいする悲しみでした。
しかし、そのことが過ぎてから、私の心はますます強靱になっていくのを覚えました。永遠に獄につながれても、永遠に私は修行の日々を歩むのだという決意でした。
このような修行の日々のなかで、ある日、出所の日を迎えたのです。
それから1年、私は思索と瞑想の毎日を過ごしてまいりました。何をなすべきかという明確な方向をつかむための充電の1年間だったと思います。
私のできること、それはやはり悩める人、悲しみを抱く人と向きあうことだということが解りました。人類救済は私の生涯の使命と心得ていますが、すべてを失った私に、いまできることは、まず、それを原点に再出発することだと心に誓ったのです。
監獄暮らしという極限の修行で、私は人の心の奥底の、悩み、苦しみ、悲しみが、よりいっそう解るようになりました。どん底のつらさ、切なさ、やるせなさにまみれている人間の哀れさも心の底から理解できる人間になりました。
この修行のたまものを人助けのために使いきろうと決心したのです。これが私の再起の誓いということになります。
気の遠くなるような長い歳月、獄中の私のことを気にかけていただいた皆様には紙上を借りて深甚の謝意を表します。
平成27年2月吉日
修行者 福永法源