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第二章 是空

【9】

私の事業は、紆余曲折を経験しながらも、それをなんとか乗りこえて、しだいに拡大していった。加速がついてしまうと、あとは順風万帆である。どのようにやってもうまくいくのである。

そんな青信号ばかりの事業に、ついつい私は有頂天になってしまった。

自社ビルもでき、全国に営業所も設け、神奈川県に奇跡の会社誕生と新聞で紹介された。

その日の夕方のことである。ある紳士が会社へ訪ねてきて、あっという間に大きな商談が成立してしまった。その紳士のそつのない身のこなしに、私は「社長はこうでなければいけない」と、すっかりと感化されてしまっていた。ところが、それが手形の取りこみ詐欺だったのである。

気づいたときには、5億円の負債をかかえて会社は倒産してしまっていた。それからというものは、連日連夜のように債権者会議が続いた。会議の場へ顔を出せば、債権者の厳しい追求が待っている。しかし、私は逃げなかった。いや、正確にいえば逃げられなかったのである。ましてや、逃げる場所のあてもないし、逃げたからといって、何をして生きていくのかも思いうかばない状態だったのである。

結局、私はいつものように傷心した気持ちをかかえながら、会議場へ入るしかなかった。もちろん債権者からは、容赦のない罵声が飛んでくる。

「どうするんだ。どうするつもりなんだ。どう解決するんだ」

私はといえば、それに答える言葉をもちあわせていない。負債を清算する術もあてもない。ただ頭を下げ、債権者たちの罵声に、じっと耐えているしかない。震える拳を握りしめ、「すみません、私が甘かったのです」と繰り返すしかなかった。

明けても暮れても、毎日がその繰り返しだった。さすがに心身ともに疲れはててしまっていた。会議の夜、自分の部屋へ帰るにしても、まるで夢遊病者のように、ただ歩いているだけであった。

帰る部屋は、天井から裸電球一つがぶらさがった粗末な4畳半である。その裸電球がぼんやりと点った部屋の隅にすわって、考えることは一つだった。

「世間知らずの田舎者が、社長をやろうというのが間違いだった。世間というのはそんなに甘いものじゃないんだ」

いつもそれである。頭の中は、意味不明の言葉にもならない言葉が渦巻いている。考えているのか、考えていないのか、それすらしだいにはっきりしなくなっていた。ただ、ぼんやりと目に映る部屋を眺めている自分がいた。

いつのころからか、私の目は、部屋の隅にあるガス栓に向くようになっていた。なぜかガス栓が気になってしかたがないのである。まるで、ガス栓がなにかを語りかけてくるような気にさえ思えた。

「ひねれ、ひねれ、ひねれ」

ガス栓が語りかけるのか、私のなかのなにものかが囁くのか、私にはそう聞こえてくる。「ひねれ」という言葉は、私のなかを何度も駆けめぐった。その声にそそのかされ、本気でガス栓をひねる勇気はない。頭では「これをひねれば楽になれる。この苦しみと別れられる」とわかっていても、いざとなると実行する勇気が出てこないのである。

「俺にはガス栓をひねる勇気もないのか」

私は自分で自分の頭を何度も力まかせに叩いた。このまま割れてしまえばいいと、やけくそに叩いた。そのときの痛さは、いまでも忘れていない。

だが、そんな葛藤にも終止符を打つときがきた。混乱のせきは切られたのである。そのときの私は、もはやガス栓しか目に入らなかった。なにかに操られるように、私の手はガス栓へと伸びていった。ガス栓の冷たい感触を指先に感じながら、この世の最後の瞬間を迎えようとしていた。

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