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第五章 法源

【6】

本の分析、解釈というものは、小説などの文芸作品ならば、それなりに役立つことなのかもしれない。しかし、私の出版する本の場合は、分析も解釈も必要ない。なぜならば、いくら言葉や文章を分析、解釈しても、決してそこからは答えなど導きだすことなどはできないからである。

それを無理やりに分析、解釈するのは、川で溺れている少年に対して、「綱があれば、こう助けられる」「棒ならばこうであろう」と川岸の安全な場所で、何もしないで考えているようなものである。

しかし、「法の華」の救済事行じぎょうが私たち人間の解釈では、絶対に理解できない「天声」を基にしているかぎり、誤解が生じてしまうのは避けられないことなのかもしれない。私たちは本気でがん患者さんを救済しようとしているし、問題をかかえて苦悩する人たちを救済しようとしている。それでもなお、その真意は伝わらないのである。

「4泊5日」という「天声」が出たのは、「億万長者養成・器づくり特訓」の「天声」が下ってから1年が過ぎようとしていたころのことである。

「天声」は、さらに5日間の修行の内容を詳細にわたって伝えてきた。その内容は、「とてつもない修行」のように思えた。それは、法源誕生までのわたくし福永輝義の過激な34年間の足どりそのもののように思えたからである。私にはもう不安もなにも消えていた。ただただるだけであった。

これが、「人間法源生きざま修行」として現在でも続いている修行である。

この第1回目の4泊5日は、指導する私自身がはじめての体験であったことや、さらに指導員となるはずのスタッフまでが修行生として参加していたりと、それは師弟混在のような状態で行われた。

いったいどうなることかと、始まるまではだれもが緊張していた。しかし、いったん始まってしまうと、「天声」で示された修行の内容は、不思議なくらいに次々とこなされていったのである。

そして修行生が必死のおもいで「行」を進めていくうちに、「天声」のいわんとする「生きざま切開」が、驚くほどにどんどん現象としてあらわれてきたのである。

いままでの修行とは桁違いに、大きな成果と感動が参加者全員にみなぎり、ただただ感動の連続であった。

そして5日間の修行が終わったとき、全員がいていた。

4泊5日の修行は、それ以後、人類救済事行じぎょうの根幹をなすものとなった。それは、毎回毎回、最高の人間を誕生させているからである。

参加者のなかには、さまざまな研修を受けてきた人もいれば、経営や販売などで毎日たいへんな苦労をされている方もいた。また、学校の先生や年少者まで、その人たちすべてがよろこびをかせていた。

「とてつもない修行」と思っていた私の気持ちは、第1回目を終えてみると、「最高の修行」という評価に変わっていたのだった。私が勝手に頭の中で、不安を製造していたにすぎなかったのである。

《 目次 》