第五章 法源
【2】
いまも昔も多くの人々は、既成の道徳観念に振りまわされ、常識にがんじがらめにされている。人の目を気にして、世間体といった価値基準で右往左往し、振りまわされたあげくに、夢や希望を
そのような人生に、ほんとうのよろこびなどあろうはずがない。
うれしいことがあっても、次の瞬間には、惜しい、欲しい、不安、恐怖、嫉妬、イライラ、ブツブツ……、といった感情が次々とあらわれてくる。これが、世間の尺度で人生をやってきた結果なのである。
なぜだろうか。
それは、不自然だからである。
なぜに不自然なのだろうか。それは、自分の都合のいいように、すべてを理論・理屈で言いくるめて、ほんとうの姿を見ようとしないからである。よく人間の醜さは、マイナスの心の働きであるといわれるが、それを知りながらも、なにひとつとして自分に表現されないことは、まさに不自然のきわみということができるだろう。
その醜さを野放しにして、最悪の
「人間はもともと、よろこびの表現体」として、この世に生を受けている。
この事実を素直に受けとるべきであろう。
私たちは少なくとも、惜しい、欲しい、不安、恐怖、嫉妬、イライラ、ブツブツするために、この世に生を受けたのではない。人間完成の道程として、この人生をやらせていただいているのである。この大宇宙の法則のなかでは、ちっぽけな人為など、まるで線香花火のようなものである。一瞬の満足さえ定かではない。
これが「
いつだったか、交通事故で追突されたという青年が相談にやってきたことがある。むち打ち症になったと、痛そうに顔をゆがめて部屋に入ってきた。
その青年の会話は、聞いている私まで具合が悪くなるほどに、ブツブツと事故の模様を話すのであった。
「交差点の信号が赤で、車を止めていたんです。まさかそんな広い道路で、追突されるなんて思ってもいないじゃないですか。ゴンッて、もうすごい音がして、モゥ……」
まさに一人芝居である。それも不満ばかりが口をついて出る。
「賠償金は100パーセントもらえるんです。先方が、警察官の前で謝って……。なんでこんな目に遭わなければいけないのか……。毎晩、痛くて痛くて。謝られてる場面を思い出しても、モゥ、腹が立って……」
そのときである。
「おまえが悪い。そこにいたおまえが、いちばん悪い!」
と、「天声」が出た。
その青年は、ドキッとした表情を一瞬見せた。私も、自分の口から出た言葉にキョトンとしていた。
2人とも、無言になってしまった。しばらくの間、沈黙の時間が流れた。私はといえば、あの「モゥ、モゥ……」が聞こえなくなって、ホッとしていたところである。
しばらくして、その青年が、驚いたような顔をつくって、
「あれ、治っている」
と言いだした。
もちろん、私は彼の首に手もあてていないし、肩にも触れていなかった。
その彼は、今度は人が変わったように、さかんに「奇跡だ!」と叫びながら、感激した様子で私に向かって両手を合わせるのだった。これには私のほうが驚かされてしまった。
その真面目くさった顔での合掌には、さすがに閉口したものである。たしかに痛みは消えてしまったのであろう。それは青年の態度から十分に察しがついた。動作も機敏になっている。それこそ椅子から飛びあがって喜んでいるほどに、その変わりようは見事なものであった。
青年は感激をして、
「私の一生を先生のお役に立てます」
と、聞いているこちらの歯が浮きそうな言葉をならべたてる。調子が良いというのか、気分屋なのかわからない。しかし、その言葉に真実のないことはみえみえであった。予想どおり、青年はそれ以来、なんの音沙汰もない。
たしかに、事故に遭った原因をないがしろにして、相手のことばかり責めたてていた青年は、「天声」によってわれに返り、素直に