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第三章 天声

【6】

法源誕生から、3年目を迎えていた。

ある日、私は千葉県松戸市の講演会場にいた。聴衆は20名ほどだったが、その人たちも熱心に私の「天声」に耳を傾けてくれていた。

第1部が終わり、ちょうどお昼時だったので、私は来てくれた方々と会場で一緒に手作りのおむすびをほおばっていた。すると、私の脳天をつらぬくものがあった。それは1月6日のそれに劣らない激しさで私の身体をつらぬいていった。

そのあまりの激しさに、私はおもわず手に持っていたおむすびを落としてしまった。「天声」が下るときの様子を私から聞いていた人たちは、即座に察してみなを会場から外に案内していた。そして会場は、私一人になった。

「いまから、『七観行ななかんぎょう』を授ける。七とは成るである。七観行ななかんぎょうは人間本来のよろこびの生活を示したものである」

続いて、七観行ななかんぎょうが伝えられた。私の手は、そばにあった紙にそれをなぐり書きしていた。

我にかえった私は、目の前のなぐり書きを声に出して読んでみた。

一、健康あふれた楽しい毎日です。

二、家族全員がゆたかで明るい毎日です。

三、希望にみちあふれた繁栄一筋の毎日です。

四、よろこびがいっぱいの毎日です。

五、感謝にみちた幸せな毎日です。

六、いつもたのしく三法行さんぽうぎょうをやらせていただく毎日です。

七、親切あふれた生かしあいゆるしあう毎日です。

私は読み終えてみて、幼稚だと感じた。わかりきった言葉しかならんでいない。しかし、後になって気づいたことであるが、真理とは、このように案外簡単なことなのである。幼稚な形にみえても、そこには本物があるのだ。

私たち人間は、なにかといえば小難しい理論や理屈を尊ぶクセをもっているが、そうした小難しい理論や理屈も、厳選に厳選を重ねて、欲しい言葉だけを抽出してみると、意外に幼稚なものになってしまうものである。

たとえば、難解といわれる法律の内容も、要約すれば、仲よくしなさい、人を殺してはいけません、約束を守りなさい、といった非常に単純なことなのである。いわば、人類のだれもがあたりまえのことができていれば、難しい法律などはいらないのである。

さて、第2部の時間がやってきた。会場内では、第1部同様に、20名の人が私の登場を待っていてくれた。

一礼をした後、私の口からあの七観行ななかんぎょうがほとばしっていた。

「いち、けんこうあふれたたのしいまいにちです。にっ、かぞくぜんいんが……」

き出るままに、私は備えてあった黒板に書き記した。1回目が終わっても、私の口からはまた最初の「いち、けんこうあふれた……」が出てきていた。

そして3回目に入ったときだった。会場の20名全員がみな、七観行ななかんぎょうを口ずさんでいたのである。その声はしだいに大きくなり、身体は唱和に合わせてリズムをとっていた。7回目を終えたとき、会場から一斉に拍手が起こった。

私は、先ほどの「幼稚だな」といった感想をうち消した。涙で顔をくちゃくちゃにしている人もいた。まだ七観行ななかんぎょうを口ずさんでいる人もいる。壇上にいる私は、はらの底からよろこびのおもいが突きあげてくるのを感じていた。

このとき、私は過去に聞いた天声を想い出していた。

「人間修行法の華とは、拝むところでもなければ、求めるところでもない」

おもいの変えられる人間は素晴らしいものだ」

かさずして、法源はない」

私は、会場の人たちに深々と頭を下げていた。感謝とよろこびが無限にいていた。

《 目次 》