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第四章 実証

【8】

夫婦の問題も、相談の多い一つである。その問題は、浮気であったり、喧嘩であったりさまざまであるが、その根本の原因は、2つである。

その人が「いていない」か、そもそもの「出会いが間違っていた」か、のどちらかしかない。

一般にいわれるところの離婚原因の多くは、性格の不一致ということらしいが、そもそも性格は個々それぞれに違っていてあたりまえである。もともと性格が違うことは、承知のうえでの結婚であったはずだ。

それを理由にして離婚が成立すること自体、おかしな話である。しかし、それが常識として堂々とまかり通っているのが現実である。いわば、そのようなことは、どうでもよいことなのだ。理屈などは後からいくらでも付けられる。

要するに「出会いが間違っていた」か「いていない」かなのである。もしもお互いが生活のなかでかせあっていたならば、浮気があろうが、喧嘩があろうが、そのようなことはなにひとつとして問題になどならない。

というよりも、お互いがいていたならば、浮気もなければ喧嘩もない。そのような気持ちになることがないからである。たとえあったとしても、そのようなことはいっさい関係ないのである。

ずいぶん矛盾した話だと思われるかもしれないが、これが「頭の取れた」世界なのである。いま生かされていることをよろこび、最高のおもいをかせて生きられれば、問題はなくなるのである。

とはいえ、そのように文章で書いたとしても、実感できる世界ではない。なぜならば頭で納得する世界ではないからである。いつものことながら、私はここで筆に詰まってしまうのである。それは、体験以外に伝えようのない世界を、文字で伝えることは不可能に近いことだからである。

さて、夫婦の問題に話を戻そう。

私のところへ相談に訪れる方の多くは、相手の写真を持参してくる。ときどき、出会いを失敗したと思いこんでいる人も来られる。

ある日のこと。若い女性が相談に訪れた。その女性の第一声が珍しかったのだろうか、その方を私はよく覚えている。その人は、私を見るやいなや、

「どうしてなのでしょうか?」

と聞いてきたのである。

別れたばかりだという。それも、一方的にふられたらしい。自分でもその原因がわからないというのである。いくら考えても、自分にどこも落ち度はなかったし、ふられる原因などはないと言いきるのである。

そのときに私から出たのは、少々乱暴な言葉だが、

「それで、最高ではないか」

であった。そして、気がついてみると私は、一気に天声を吐いていた。

「頭の愛は、憎しみに変わる」

だから、別れてよかったのである。それ以上かかわり続けたならば、その相手を愛したと思っているぶんだけ、憎しみの気持ちでいっぱいになってしまうからである。そうなったならば、取りかえしのつかないことになる。

「出会いの法則は、類の法則である」

それは、あなたにとってほんとうに必要な出会いではなかったのである。いまの生きざまのあなたのレベルの人が寄ってきただけのこと。そして、

「良い結婚は、自分を高めない人にはできない」

矢継やつばやに吐き続けていた。要は、どれだけよろこびをかせているかである。暗く沈んでいるような生活をしていれば、それに見あった相手が忍び寄ってくる。打算ばかりで生活をしている人には、それに見あった相手があらわれる。それが「類の法則」である。

その女性は、「天声」の容赦ない言葉に、身を震わせていた。一瞬にして、自分の小ささ、自分の生きざまの低さを感じとったのである。アイラインの入った目尻から、幾粒もの涙が光っては落ちていった。そして、膝に置いた拳に力を入れると、

「私、ほんとうの結婚をします!」

と泣き声まじりに、それも大声で宣言したのだった。

その女性がほんとうの赤い糸と出会えたのは、申しあげるまでもないだろう。これは残念ながら愛や恋のお話ではない。そのような次元から遠く超越した世界の話である。さて、ご理解いただけただろうか。

少なくとも、このやり取りは、理屈になりづらいものと思える。しかし、「出会い」は理屈ではないのである。これをいくら頭の中で整理しようとしても、それは混乱をまねくだけでなんの答えも出ない。

ただし、これだけは言える。矢継ぎ早に出た「天声」は、すべてあたりまえのことなのである。相手が勝手に去っていったことは、縁がなかっただけのことである。それはそれで最高ではないか。それを自分勝手な考えで取り戻そうとすれば、そこから問題がさらに発生してくる。

ましてや、そのような相手とめぐり合うのは、そのような相手しか惹きつけない自分がいるからである。いい結婚をしたいのであれば、最高の自分に成ることしかないのである。

そして、その女性は最高の人間に成った。当然、最高の相手と出会いがある。すべてはあたりまえのことが、現実のなかで現象として起こっているだけのことなのである。これが大自然の法則である。

しかし、ここに愛や恋という概念を放りこんでしまうと、ほんとうの「出会い」というものが欲得の世界に入りこんでしまって、本物が見えなくなってしまう。

誤解を恐れずに言うならば、恋愛、結婚とはいえ、男女の枠を超えて、素の人間でとらえてみることである。そうすれば「出会い」というものが、男女、国籍、人種を超えて、共通していることが見えてくるはずである。

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