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第四章 実証

【3】

さて、いまでは私も、7万人の聴衆へ一斉に天行力てんぎょうりきを向けても、丸一日あれば回復するようになった。これも700回からの繰り返し行った講演会の賜物である。

また、法源誕生の年から、「天行力てんぎょうりき祭」として、年に一回、集中的に天行力てんぎょうりきを向けているが、その来場者が、さまざまな体験や現象を見たという報告を数多く受けている。

1988年からは、「天行力てんぎょうりき大祭」として「超天行力てんぎょうりき」が天から直接送られることとなり、その天行力てんぎょうりきもパワーを増している。私がおもいを向けたところには、天から直接の「超天行力てんぎょうりき」が空間を超えて流れていく。

そのとき私の身体は、強烈なエネルギーのために、火のように熱くなる。

実際に体験した方ならば、目撃していることだろうが、私の顔からは無数の汗が吹き出ているのである。そして、言葉にならない息吹が、マイクを通して会場を埋めつくしている。この光景は荘厳である。

国技館や東京ドームで、「天行力てんぎょうりき大祭」を何度か実施している。想えば、9人の「天声開説会」から始まったことであるが、これまでに、どれほどの実証を見せてもらったことだろうか。

会場が大きいと当然のことながら人数も多い。そこにはさまざまなおもいが渦巻いている。私は3万人、7万人という聴衆を前に、ただただ天のパイプ役としてマイクを持ち、参加者へおもいを向ける。

「超天行力てんぎょうりき」がビリビリと会場の隅々まで届いていく。それは不思議な光景である。さまざまな形で「超天行力てんぎょうりき」が人々に貫通していることが、演壇上から眺められる。まさに形容しがたい雰囲気である。

すごい勢いで「超天行力てんぎょうりき」が貫通し、その反動でおもいきりよろこびが吹き出てくる者、知識で詰まった頭で必死にこらえている者、閉じかけていたフタがふたたび勢いよく開いて、歓喜の涙を流している者、その描写は尽きることがないほどである。

なぜならば、個々すべての人々の受け入れ方が違っているからである。なかには「超天行力てんぎょうりき」のパワーによってフラフラの状態の者もいる。私自身も、それが終わるころには、その万人からの生きざまを吸いこんで、フラフラの状態になっている。

しかし、「超天行力てんぎょうりき」が一人ひとりに行きわたったという満足感に満たされた気持ちが、そんな熱の上がった不安定な自分の身体をどうにか前へ進めてくれる。会場からは最高のおもいの込められた激しい拍手が鳴り響く。確実に「超天行力てんぎょうりき」は届いてくれていた。

それが実感としてあらわれるのは、「天行力てんぎょうりき大祭」の終わった次の日である。

次の日から、全国からファックスや手紙で実証が寄せられてくる。

「長年の積苦から解放されました」

「リフレッシュされて、またよろこびいっぱいの毎日です」

「見違えるほど、生活が変わりました」

そんな元気で明るいいきいきとした実証例と一緒に、前回では、

「下血がありました」

という内容のものもあった。どうして、「下血のあった」ことがうれしいのかと思う方もおられるかもしれない。

このファックスを送ってくれた女性は、初期の子宮がんであったのである。まだ直接にお会いしたことのない方であるが、訥々とつとつと、しかし感激に身を震わせながら手紙を書いてくれたようである。

「病院で手術を勧められたばかりでした。手術が必要なくなるかもと想いながら、大祭に参加しました。じつは、まだ子どもを授からなかったのです。そんなさなかの子宮がん……。病院で告知されたときにはなにがなんだかわからなくなっていました。天行力てんぎょうりきを受けているとき、尾てい骨が熱くなったような感じがしました。そして、帰宅したら下血があったのです。一瞬、ドキッとしました。ただ、とてもすっきりした感じでした。今朝、病院に行ってみると、きれいに消えていたのです。がんが流れていった……」

その方の感激が手に取るように伝わってくる。

私はといえば、さまざまなおもいを今回も受け取ってしまったのか、40度の高熱に声も出ない状態であったが、そのお手紙を読んで、あらためてよろこびをかみ締めていたのである。

人間としてやれることのギリギリの状態のところで、こうして人々が救われていくことに、私は感謝せずにはいられない。救済の痛みはよろこびである。人々のよろこびは、それにも増して最高のよろこびである。

山のように送られてきた実証のファックスやお手紙を一つ一つ手にしながら、私は「天意」による救済の素晴らしさを身体いっぱいに感じとったのだった。

《 目次 》