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第二章 是空

【4】

私は母子家庭であったから、中学を出たら働くつもりでいた。当時は進学率もそうそう高いわけではなかったので、中卒で就職することは珍しいことではない。それでもまわりの勧めもあって、やむなく定時制高校に席を置くことになった。私としては、中学時代のくやしい想いは避けたかったのであるが、成りゆき上、断る理由も見つからないので、進学を選んだのである。

だが、問題は学校ではなかった。就職先に問題が待ちかまえていたのである。それも原因はやはりドモリであった。

はじめて私が仕事に就いたのは、米屋さんの配達である。配達だけならば、しゃべれなくてもなにも問題はないはずだった。ところが、配達先では、最低限でも「ごめんください」くらいのあいさつが必要だったのである。ところが、

「ご、ご、……ご、ご、ご」

と発声するくらいが、私の限度である。2、3分ほど粘ってみるが、どうしてもその先の言葉が続いて出てこない。しかたなく、玄関先にそっと米袋を置いて店へ帰ることになる。その結果、

「おたくの店員は、礼儀がなっていない」

という苦情が再三入るようになる。悪いことに、その言いわけさえも言えないわけだから、一方的に「クビ!」である。

このときばかりは、あ然とするしかなかった。学校ではしゃべれなくとも、クビになることはない。しかし、現実の社会は厳しい。あいさつひとつできなければ、それで終わりである。私は先行きの不安を強く感じた。

次は新聞配達であったが、配達はともかくとして、集金時は言葉が不可欠である。やはり、同じような結果になった。私は恐ろしいハンディキャップを背負ってしまったような気分に襲われた。

このままでは社会人として生きていくことができない。そうなれば、これからの人生設計すらも暗礁に乗りあげることになる。私はそんな恐怖にかられながら、しゃべらなくてもいい仕事を必死で捜しまわった。

やっとのことで見つかったのは、山口大学医学部の解剖学教室の職であった。仕事の内容は解剖用の死体の管理である。まだ十代の若者には恐ろしい、そしてきつい仕事だった。しかし、死体が相手だけに黙っていてもなにも問題はない。また、そこでは言葉によるあいさつもいらなかった。

ホルマリンに漬けられた死体をタンクから引き上げ、解剖台に乗せる作業は、自分の感情を殺さないとやっていけない。はじめは自分のなかの恐怖心との戦いであったが、やがて慣れてくると今度は、死という現実を受けとめなければならない精神的な戦いが待っていた。

そのほかにも、死体独特の悪臭と戦ったり、硬直して重量感のある死体をどう運ぶかという戦いも必要であった。

この特殊な体験で、人生の終わりというものをリアルにとらえられることになった。そうでなくても現代社会は、死体などそうお目にかかることはできない。現実がすべて隠されており、世の中には死体など転がっていないと思っている人が多いものだ。

しかし、現実には、一年に何十万体もの死体が処理されているのである。たしかに死体は存在しているのだ。だが、それが私たちの目に映らないだけのことで、見えないから無いというわけではないのである。

さて、私はこの仕事を気に入っていたわけではないが、それでも定時制高校を卒業するまでの4年間を、休まず続けた。家にも同年輩の者よりいくらかましなお金を入れることができた。

高校卒業の時期が近づいていた。また新たに就職先を探さなければならない。漠然とした不安がまた襲ってくる。そんなある日のこと。私は研究室の教授に呼ばれた。

「君、よくがんばってくれた」

「……」

「助かったよ。お礼に僕から贈り物をやろう」

「あ、……」

教授はニコニコしながら、机の上の茶封筒を取りあげた。

「君の将来のために、ぜひ大学に進んでほしいんだ。大学は短期の夜間部だが、入学金は私が出してあげよう」

一方的な話であった。茶封筒には東京の大学名が走り書きされている。私は大学進学など考えてもいなかったので、

「い、……」

いいえと断るつもりであったが、またしてもそれが言葉にならない。そんな私の事情も知らず、教授は得意満面に、

「推薦入学の手続きもしておいた。東京へは一人で行くことになるが、とにかくがんばってきなさい」

と勝手に話を進めていく。これには困ったものであった。相手が善意であるだけに、断るならば失礼のないように伝えなければならない。ところがそれどころか、「いいえ」とも返せない状態であるから、話は180度違う方向へ向かっていった。

「まあ、遠慮しなくていいから」

そう言うと、教授は紹介状の入った封筒を私の掌に乗せてくれた。私は必死で懇願したが、その態度は遠慮に映っているようであった。

家に帰る道中、私は母になんと説明すればよいのか、そればかりを考えていた。一人息子が東京へ行くことになれば、母は宇部で独りぼっちになってしまう。もう別々の生活はないと思っていただけに、気の重い問題であった。

《 目次 》