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第六章 救済

【6】

「天」の偉大さには、毎日のように驚かされている。「天声」を聞く私ですら、慣れっこになることがない。ときには振りまわされることもあるが、ほとんどの場合は、「天意」のままに素直にしたがっている。

今回の温泉の件にしても、2年近くも粘り続けた。だれに何を言われようとも、そのような言葉に惑わされることなく、「天意」をつらぬき通したのである。

温泉の公開は、その年の12月、年に一度の「天行力てんぎょうりき大祭」の日に行われた。

温泉の湧出に、全国の行者さんがこぞって参加した。まだ整備されていない工事現場に湯桶を置いて、みなさんがその温かさを楽しんだ。だれもが笑顔でよろこびあい、湯上がりのそれのようにまっ赤に上気していた。

天声村の充実は、救済の青写真のなかでも、とくに重点が置かれているようである。次々に救済のメッカとして、人間天国が形となって完成していった。

その速度は、年々早まっていくようだった。すべてが凝縮されて動いているように感じられた。その時間の流れは、10年間を1年間に圧縮したような密度の濃い内容のあるものであった。

その年の暮れのことである。ひょんなきっかけで出会った方から、スリランカの高僧を紹介された。その縁で、真正仏舎利ぶっしゃりを拝受することになった。あまりに「出会い」が密度を増していたので、驚く暇もないほどであった。

コロンボ市内の名さつにて、厳かな式典の後、私は仏舎利を頂いた。そのときに頭にあったのは、行者さんに早く見せてあげたいというおもいだった。この至福のよろこびを、まず第一に人類救済を真剣にっている人たちに伝えたかったのである。

私は現地でのんびりすることなく、仏舎利を頂くと、その足でスリランカから、いとおしむように天声村に持ち帰った。

出迎えてくれたスタッフたちが、ふたの開けられたストゥーパーの中の仏舎利を、代わる代わるのぞき見ていた。だれもが歓喜にむせいでいる。釈迦のおもいがスタッフたちに染みこんでいくのがよくわかった。

私はさっそく、特別の部屋をつくって仏舎利を納め、行者さんに公開しようとした。ところが、「天声」から「待った」がかかったのである。

「『天声の間』に納め、100日間天行力てんぎょうりきを向けなさい」

と、示されたのだった。

私は仏舎利を天地堂の「天声の間」に納め、とにかく天行力てんぎょうりきを向けた。そして、100日が過ぎた。気がついてみると、またも第1回天声開説会の記念日であった。ここにもまた偶然のような必然の力が働いていたのである。

さらに驚かされたことには、1個のはずの仏舎利が、なんと100個になっていたのである。私は、おもわず目を疑った。何度か自分の目をこすってみたが、その数は間違いなかった。たしかに100個になっているのである。

そのときに出た「天声」は、

天行力てんぎょうりき仏舎利として、この地上の100か所に安置せよ」

というものであった。

そのなかの70個は、日本全国の行者さんの家に、「天声」に沿って納めていただいた。もちろん家宝として、大切に保管することを約束された方だけである。

余談ながら、仏教などの古い経典をひもとくと、その時代の人々のおもいのき具合によって仏舎利の大きさが変わることが書かれている。天声村の仏舎利にかぎらず、行者さんの家に納められた仏舎利もどんどん大きくなっていることが報告されているのは、やはり、人々の放つよろこびの波動が強くなっているからに違いない。

《 目次 》