第三章 天声
【3】
「天声」は、ときとして常識では計りかねることを突然告げてくる。これを個人的な発想で受けとめたならば、頭が混乱しかねないだろう。超宗の基本でもある「
「白い紙を100枚束ね、それをクリップで3か所とめよ。それを人々に配れ。
この「天声」を聞いたときには、正直いって、天声の意のままに動くしかないと決めていた私も首をひねったほどである。そのときの私は、まだまだ会社経営の感覚が抜けていなかったのであろう。
どうしても商品を売るとなると、まず原価計算の頭が働いてしまう。白い紙100枚をクリップでとめただけのものが、はたして3500円以上で売れるのか……。そう疑問視するのも無理からぬことである。
私は、3日間、その「天声」には従わないでいた。白い紙はいちおう購入してきたものの、それを束ねることはしなかった。要するに、個人的な感情によるサボタージュである。
ところが、あたりまえのことだが、すぐに厳しい「天声」が響きわたった。
「おまえはなにをやっているんだ。早くしなさい」
私は「天声」に
これが、「
さて、こうして、本らしきものはできたのだが、次にどうやったらよいのか、まったく見当もつかない。とりあえず、本であるのだから本屋へ行こうと、思いつきで近くの大きな書店へ飛びこんだ。売場の女性に、
「これ、扱ってもらえませんか」
とたずると、自分では判断がつかないと思ったのか、店長を呼びにいった。
しばらくして女性店員が店長らしき人を連れて戻ってきた。その店長は、私の顔を
「どんな本なんですか」
「印刷してない本なんですけど……」
そのときの2人の顔は、いまでも忘れられない。まるで鳩が豆鉄砲をくらったような、そんな表情であった。いちおうは手にとってパラパラと白い紙をめくってみてくれたが、ほんとうにまっ白な本であることがわかると、店長の顔色が変わった。
「あんたねえ、印刷してない本なんか本じゃないですよ。本屋で扱うわけないでしょ。さっさと帰ってください」
と怒鳴りかえされてしまった。
ところが、店を追い出されたときの私の感想は、なさけないことに、「やっぱりそうだろうな」といったものであった。どこかで自分も、文字のない本は本ではないという、あまりに常識的な常識にしばられていたのである。
それほどに「天声」は、一般的な知識では推しはかれないようなところがあるのである。だからといって、それが間違いであるとは絶対にいえまい。もしも常識が正しいというのであれば、この世の中の混乱は、いったい何を物語っているのであろうか。