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第三章 天声

【1】

叫びとも怒鳴り声とも判別つかない声がした。

何かが爆発したような、すさまじい声であった。

私は、おもわず声のしたほうを見た。ひとりの男が立っていた。しかし、せま苦しい4畳半の部屋には、裸電球とわずかばかりの身のまわり品しかなかった。そこには私しかいないはずであった。

よくよく目を凝らすと、それは窓ガラスに映っている私自身の姿であった。拳をかたく握り、仁王立ちになっている私であった。

何が起こったのか、すぐにはわからなかった。先ほどまで意気消沈し死を決意していた自分が、その意識とは裏腹に、次の瞬間、堂々と立ちあがって生きる決意を表現していたのである。そして、そんな自分を眺めている自分がいたのだ。

そのときだった。男とも女とも区別のつかない声がした。

「形あるものはすべて消えた。ビルも工場も営業所も、預金通帳も従業員もすべて消えた。だがしかし、人間には目には見えない大きな財産がある。その人間にいちばん大切な財産を売る大事行じぎょう家になれ」

透きとおった声が、私の身体のなかを流れていった。何事かはわからなかった。しかし、ただならぬことが起こったことは事実であった。そして死の幻想から、自分がよみがえったことも事実であった。

次の日から、しだいに変化が起き始めた。

現状はなにも変わらなかったが、何かが違ってきていた。4畳半の部屋はそのままであるのに、言いしれぬ温もりが感じられる。それまで騒音にしか感じられなかった近所の子どもたちの声や街の喧騒までが、なぜか温かみのある音に聞こえるのである。

部屋の空気もそうである。いつもと違っておいしく感じられた。水道の水はまるで甘露水のような味わいがある。なぜか知らぬが、すべてのものがキラキラと輝いて自分のなかに入りこんできたのである。

そうなのだ。現実はなにも変わってはいないが、それを受けとる私自身が変わっていたのである。

私が変わってから、不思議なことに、周りの人々も変わっていくようであった。そのことは、地獄と感じていた債権者会議のなかでも起こっていた。

はじめは罵声と野次の飛びかうだけの殺伐とした会議であったが、私の変化と同時に、債権者の態度も変わり始めていた。事態は少しずつ少しずつ打開されていった。たとえば、ある人などは、進んで債権回収を無期延期してくれたものである。

たしかにあの日から、何かが動き始めていた。

そして迎えた、昭和55年1月6日午前2時。

眠っていた私の身体が急に熱くなり、身体の中心に何かが集中してきていた。布団を跳ねあげて起きあがった私は、目の前がまっ赤に輝き、身体の中心に真理の光が集中してくるのを感じた。

その光の中に、円覚寺の朝比奈宗源師があらわれ、続いて良寛師が、さらに多くの高僧が姿をあらわし、最後にキリストがあらわれた。そして全体を包む光は、釈迦の涅槃の姿であった。

私は、空となり、頭から足に声無き声が透きとおるように流れていった。

「いまの世は、科学、医学、政治、道徳、人為の宗教、何をもっても救われない。いまこそ、大自然を造り動かしているそのものの力を天と定め、キリスト、釈迦についで、最後の救済者として法源をこの世に送りだす。天の使者として、天のパイプ役として、天声を法源の肉体から放つことによって、人類救済の事行じぎょうを始めよ。法源とは、神、仏、教祖ではない。法とは宇宙の法則、源とはくこと。全人類が宇宙の法則をすべてかせるおもいと心と身をもつ人間そのものの姿を法源とする……」

その声は、さらに2時間にわたった。その意味もわからず、ただただ私は紙に書きなぐっていた。気がつくと、なぜか両手、両足の皮がそのままの形できれいにむけ、その日、最後の天声が身体をつらぬいていった。

法源誕生となった。それは、わたくし福永輝義の死でもあった。

《 目次 》