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第三章 天声

【2】

ふり返ってみると、私の34年間のすべては、このために必要な「ぎょう」であったように思える。

父を知らない子ども、母との別離、幼いころの独りぼっちの生活、ドモリ、さまざまな神社仏閣の参拝、医学部での体験、失恋、死の淵、独立と苦難、成功、そして倒産……、文字にしてしまえば簡単に通りすぎてしまうが、いまとなってみれば、およそ34年間の福永輝義の人生のすべてが、これでもかこれでもかといった「行」であったことに気づかされる。

その「行」は、天声を聞く身になったいまでも、まったく変わることなく続いている。あたりまえのことであろうが、この16年間(本書初版当時)、一日も体むことなく「天意」のままにらせていただいているのである。そのために、寝る時間も平均して3時間ほどと、一般の人たちよりも少ないほどだ。

ましてや、私は個人的な資産はひとつも持っていない。世間はどう見ているのか知らないが、自宅も貸家である。また、月2万円の粗末な4畳半の部屋を個人的に借りている。忙しい毎日であるので、なかなかこの部屋を訪れることができないが、最低でも年に何度かは法源誕生の原点を味わうべく、電灯一つのこの部屋で暮らすことにしている。

私はいつでも、「天」のパイプ役であることを忘れてはいない。そこには個人・輝義の出る幕はいっさいないのである。どこまでも法源として、大事行じぎょうを遂行すべく、日夜奮闘しているのである。

さて、第1回の天声開説講演会以後、私は天声に対して素直な自分になっていた。しかし、そのいっぽうで、口から出てくる天声の理解はまだまだであった。なによりも「法源」の意味をつかみきるまでには、相当の時間を要さなければならなかった。

一般の方たちは、福永法源と「法源」をごっちゃに扱っているところがある。もちろんそれは無理のない話である。行者さんのなかにも、同じように思っていた時期があったというくらいであるから、なかなか理解されることはない。

ましてや、その当人までが、初期のころは福永法源と「法源」の扱いについて混乱を生じていたのであるから、なにをかいわんやである。

こんな話がある。昭和55年7月のことである。どこで聞きつけたのかわからないが、鎌倉のあるお寺のお坊さんから私のところへ連絡が入った。

「とにかく会って、話を聞かせてくれ」

とのことであった。その方は、私でさえお名前を知っているほどの有名なお坊さんである。私は恐れおおいことだと内心思いながら、鎌倉へ出かけていった。お堂に通されると、後光がさすような86歳の高僧が、お堂の真ん中にすわっておられた。それは見るからにありがたい感じであった。

僧侶は私を通すなり、開口一番、

「あなたが法源さんですか」

とたずねてこられた。

「はい。法源です」

と返事をするやいなや、相手の心構えを問うこともなく、勝手かまわず私の口から天声が堰を切ったようにあふれ出ていった。私はわけもわからず、天声の流れるままに身を委ねていた。

30分くらいたっただろうか。ふと気づいて僧侶を見ると、その眼から大粒の涙があふれているではないか。

「あぁ、失礼なことをしてしまったかな」

私の心にそんな気持ちが一瞬よぎった。なにしろ、50年以上も厳しい修行を積んでこられた著名な僧侶である。いくら、天声が出てきたままにしゃべっているからといって、そのような方にお説教をしてしまったわけであるから、私は青くなってしまった。

私が萎縮していると、僧侶は感心するような口ぶりでこう言った。

「いやいや。わたくしは50年間、身を浄めて道を求めてきた者。そしてようやっと到達しかかったことを、いまあなたは30分で全部言ってしまった。いったいあなたは、どういう方なのか」

「法源です」

ついと口に出た。それを聞いた僧侶は、納得したようなしないような神妙な顔をつくった。どうやら「法源」という言葉は、なにかひっかかるものがあるようだった。

帰りは、僧侶ご本人に門まで見送っていただいた。そして、

「うちには門徒が300人いる。その門徒の前で、月に1回その天声開説とやらをやってはくれませんか」

と告げられた。私は気持ちよくお引きうけした。

「2日後に電話します」

私を背後で見送りながら、僧侶はつけ加えた。私はその言葉を胸にしっかりとしまいこみ、温かな気持ちで横須賀線に乗りこんだのだった。

この話は講演会でも数回話している。行者さんのなかには、ご存じの方も多いかと思う。しかし、この話には、後日談があった。

それから2日後。待てど暮らせど僧侶からの連絡がない。私は、もし電話が鳴ったときに席をはずしていたりして失礼があってはいけないと、2日目は朝から電話の前にすわって動かずに待っていた。しかし、夜8時をまわっても、電話はこない。

おもいきって、私は電話をかけてみた。すると、若いお坊さんが応対に出た。

「もしもし、2日前におじゃましました福永法源ですが」

と、恐縮しながら受話器を耳にあてて、僧侶の出てくるのを待った。すると電話のむこうから、

「いないと言え、いないと言え」

という声が聞こえてきた。それは聞きおぼえのある例の僧侶の声であった。これには私も驚きを通りこして、あきれてしまった。よくよく聞いてみると、その僧侶は、天声開説はぜひお願いしたいのだが、そうなると門徒がみな去っていき、お寺を維持できなくなる、と弟子に語ったそうである。

7月10日には、このような「天声」が出ている。

「成るべくして成れる。人間本来の力そのもの、法源そのものを発見せよ」

この「天声」をじっくりと眺めてもらいたい。そして、僧侶との会話をもう一度読んでいただきたい。

そうなのである。萎縮し、恐縮し、ありがたがっていたのは、まだまだ「私」であったのだ。すでに「法源」でありながら、その「法源」をまっとうしていない自分が出ていたのである。

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