第六章 救済
【4】
天地堂が建立すると、天は、天声村にお祝いとして湧き水を出した。コンコンと湧き出る水を、涌点からパイプで「天声の間」を7回めぐらせ、
天声村も、天地堂に続き、天行館の完成など、毎年どんどん充実していった。「
そのようなところへ、
「先祖供養の館をつくれ。7千家の先祖を」
との「天声」が下った。
しかし、この「天声」にかぎっては、抵抗感があった。「天意」のままに
なぜなら、法の華は人間修行の場であって、オギャアと誕生してから棺桶までの、生身の人間のための場であると、私はかたく信じていたからであった。もちろん、同じ生命体には変わりないが、なぜ「死んだ後」の生命体までお世話するのかわからなかった。
昭和61年6月11日の「天声」に、
「いま最高の生活を、家族としていることが、最高の先祖供養である」
とはっきり出ている。「天声」を楯にとって、「天声」に反論するというのも妙な話であるが、本来ならば、いま生かされているすべての人間が、「行」の中心である。そういう
ところが、これに関する「天声」がまた下った。
「先祖供養の館をつくれ。
人とは、その家あっての自分、先祖あっての人生である。
先祖の生きざまが、その人の出会いを決める。
よって、いままさに、正しい先祖供養が必要なのだ。7千家の先祖を法納せよ」
この「天声」にも、そのときどきの調子というものがある。このときの「天声」は、抵抗している私がいるにもかかわらず、非常に穏やかなものであった。どうやら理屈を口にしている私に対して、それとなく気づかせようと、噛みくだくように伝えてきたのかもしれない。
いわれてみれば、自分が理論家のようになっていたことに気づいた。「天」は目先のことや、まわりのことだけで判断を下しているわけではなかった。人知を超えた何万年、何億年まで見すえて「いま
私のいまの
さて、「天声」は、「先祖の法納」を伝えた後に、はじめて、天上界、転生界、地獄界などについて明かしてくれたのである。
人類の救済を正常に進めていくためには、どうしても過去に人間としての生きざまを残してきた「生命体」の救済も必要だという。要するに、先祖も救済しなければ収まらないほどに、現代人は、生きざまを歪めてしまっているということだろうか。
いくら現在をがんばって
平成2年、そのための「法納館」が完成した。
そして、これによって多くの「生命体」が、転生界、地獄界から引き上げられていったのである。同時に、子孫であるその人も、人間完成に一歩近づいたのだった。
しかし、現実にはまだまださまざまな問題が山積みされていた。いくら救ってあげたい、頭を取らせてあげたいと思っても、その家の「生きざま」というものがある。
その生きざま切開のために「行」が生まれたのであるが、それすら頭が邪魔して受けられない、受けようとしない、といった人々が年を経るごとに増えていったのである。
また、「行」を
このような方に対して、私はとにかく、「行」を繰り返すことしかお伝えできないという苦しさもあったことは事実である。
そのように揺さぶられ、振りまわされてしまう人たちのために、決定的なものが「天声」で示されればと、私はいつも思っていたものである。
しかし、「天」は、私が勝手に気苦労しているのを見透かしたように、そのような方々を救済する法も、青写真にちゃんと描き入れていたのだった。
平成8年7月、東京・渋谷の会館に、「超
これほどの
これは「天」の